宮治勇輔氏×松岡達也氏×創業手帳 大久保幸世「バトンタッチイベント」で事業承継を語る!
株式会社創業手帳は、事業承継に特化したガイドブック「事業承継手帳」創刊にあたりオープニングイベント「バトンタッチ!」を開催しました。
豚農家を承継し、NPO法人農家のこせがれネットワークで承継支援を行っている宮治勇輔氏、負債数十億の事業を承継し、V字回復を果たした松岡達也氏をお招きし、事業承継をステップとして事業を大きく成長させた宮治氏と松岡氏が、どのように事業を進化させたのかに、代表大久保が迫ります。
起業家に有益な情報を徹底してお届けする「創業手帳」から、日本初の事業承継に特化したガイドブック「事業承継手帳(無料)」 が創刊されました!事業承継を検討する創業者の方、これから新社長になる方、事業承継に関わる士業の方などに有益なノウハウや最新情報をお届けしています。あわせてご活用ください。
慶應義塾大学総合政策学部卒業後、株式会社パソナに入社。営業・企画・新規プロジェクトの立ち上げなどを経て 2005年に退職。実家の養豚業を継ぎ、2006年に株式会社みやじ豚を設立。生産は弟、自身はプロデュースを担当し、独自のバーベキューマーケティングにより2年で神奈川県のトップブランドに押し上げる。2009年にNPO法人農家のこせがれネットワークを立ち上げ、「一次産業を、かっこよくて・感動があって・稼げる3K産業に」を目標に日々奮闘している。
2003年に大学卒業後、空間プロデュースベンチャー、ファイザー株式会社、株式会社ドリコムを経て、2008年1月に株式会社レイディーバグを設立。2011年から事業承継のため、株式会社恵那金属製作所入社。2014年2月に専務取締役、2016年2月に代表取締役社長就任。 2018年12月末に代表取締役社長を退任し、現在は㈱日本医療支援研究所代表取締役として中国内モンゴル自治区にて健康診断センターの運営とエンジェルとして投資も行う。
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計100万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。
目次
イベント開催にあたって、創業手帳代表大久保が、「事業承継手帳」を創刊した経緯に触れました。
大久保:本日は、「バトンタッチ!」by『事業承継手帳』ということで、社名が創業手帳なのに、なぜ『事業承継手帳』なんだろう?とお思いかもしれません。実は事業承継したい方からご相談を受けたり、2代目社長から勉強のためと『創業手帳』の資料請求を受けることが増えてきました。
『創業手帳』と同じく『事業承継手帳』も、多くの人がつまずきやすいポイントをガイドブックにまとめ、役立つ情報を提供したいと考えています。
株式会社みやじ豚・農家のこせがれネットワーク 宮治勇輔氏
大久保代表の挨拶に続き、本日のゲストのお1人目、株式会社みやじ豚代表取締役、NPO法人農家のこせがれネットワーク代表の宮治勇輔氏にお話をいただきました。
弟と役割分担し、実家の養豚業を承継
宮治:皆さんこんにちは、僕は神奈川県藤沢市で養豚業を営んでいます。
もともと起業するつもりで、養豚業を継ぐつもりはありませんでしたが、自分にしかできない、一生を捧げられる仕事はなんだろう?と考えた時、「親父の後を継ぐことは自分にしかできない」と思いました。「一次産業をかっこよくて・感動があって・稼げる3K産業にするぞ!」と、会社を辞め実家を継ぐ決心をしました。
実は弟がタッチの差で実家に戻って生産現場に入り働いていたので、僕はプロデュースを担当することにしました。
僕が承継する前は、実家で生産した豚は出荷後、と畜場から専門商社を経由して、地域の豚肉と一緒くたになり、お客様に渡っていました。
丹精込めて育てたうちの豚を「みやじ豚」としてお客さんに知ってもらい、届けたい。そんな思いで行ったのが、流通の仕組みを変えることです。
生産した豚はまず全頭JA出荷に切り替え、と畜場からパートナーの食肉問屋に流通するようにしました。
お客様からの注文を僕たちが運営するオンラインショップで受けたら、パートナーの食肉問屋に発注します。そこで骨を抜いたりカットしてもらった肉は、宅配便でお客様に届けられます。
この在庫を抱える必要のないノーリスクなビジネスモデルによって、小さな豚農家でもやっていけるようになりました。
うちの豚は本当に美味しくて、成分分析をかけたところ、美味しいとされるAランクの2ランク上のAAAランクに認定されました。
メディアにも大きく取り上げていただき、みやじ豚を「幻の豚肉」と称してくださる九州の焼肉屋もあり、日本全国から注文をいただく全国ブランドとなりました。柔らかく、ジューシーで見た目も美しく、脂身が軽くクリーミーでと、一言で言えば「非の打ち所がない豚肉」だと思います。
事業承継を支援
宮治:今年13年目を迎える、農家のこせがれネットワークは都心で働く、実家が農家の方の帰農支援をするNPOです。「農家のこせがれ」に農業の魅力と可能性を伝え、少しでも農業をやる人を増やすことをミッションとしています。
活動はSNSが広まり、地方でも同様の動きがでてきたので、2014年に、農業界の最大の課題は何かゼロベースで考え直しました。たどり着いた答えは「事業承継」でしたが、当時の農業界ではその言葉すら聞こえてきませんでした。
農業界に「事業承継」の概念を広めようと、農家のファミリービジネス研究会を立ち上げ、JA全農と組んで『事業承継ブック』を作ったり、eラーニングに提供のある株式会社ビジネス・ブレークスルーと共同で「農業後継者のための事業承継講座」というオンライン講座を作ったりしました。
そんな活動を通じ家業を継ぐかで悩んでいるのは農家だけではないと気づきました。
地域の文化・伝統・歴史を次代に繋いでいる家業の廃業は日本の損失に繋がります。家業イノベーション・ラボを立ち上げ、農業の枠を取り払って、全ての家業の後継者のためのコミュニティづくりを行っています。
株式会社恵那金属製作所を事業承継し立て直した松岡達也氏
株式会社日本医療支援研究所代表取締役社長の松岡達也さんからは、義理のお父様が亡くなられたことをきっかけに借金を抱えた株式会社恵那金属製作所に入り、経営を立て直した苦労を語っていただきました。
倒産寸前の妻の実家の家業を事業承継
松岡:松岡と申します。私は学生時代から「起業したい」と思っていました。新卒でベンチャー企業に入社後、大企業を知るために外資系企業に転職、そして株式会社ドリコムに転職して上場を経験しました。3つの会社で経験を積み、3年以上かかりましたが2008年に起業をしました。その9カ月後にリーマンショックが来ましたが、苦しい思いをしながらも事業は軌道に乗りました。
妻の実家は、岐阜で株式会社恵那金属製作所を営んでいましたが、結婚1年半後に、社長を務めていた義父ががんで亡くなります。ビジネス経験のあまりない義母が会社を継ぎましたが、どうにも立ち行かない状況が出てきました。
私はビジネスとは無縁の義母が苦しんでいるのを見て、会社に入ることを決めましたが、会社は数十億円の借金がある状態で、自己資本比率は1ケタ台でした。もうだめかなと思いながらも、入社してみると、社員は真面目に一所懸命頑張っていました。
工場で油まみれになり働きながら「これは経営の問題で、頑張ればなんとかなるのではないか」と感じ、私が事業承継をしようと決断、借金の連帯保証人にもなり、眠れない日々がスタートしました。
当時の取締役や子会社の社長はほぼ全員辞めていき、非常につらい日々でしたが、社員と力を合わせて売上を約2倍にし、経営もかなり安定してきました。
社長退任を選択
松岡:義母の負担も減っていったのですが、何年も前に決めた社長交代の日の約2週間後に義母は亡くなりました。生前の義母の願いは「今いる社員が定年まで働けるような会社にしてほしい」というものでした。
その思いをどう引き継ぐか考えた結果、私は約25年頑張ってきてくれた社員に交代して退任しました。
現在は、会社で立ち上がった中国内モンゴル自治区での健康診断ビジネスを継げる人がいなかったので、個人の会社として続けています。将来性のある東南アジア、国内の会社への出資なども行っています。事業承継で悩んでいる方からお声がけがあったり、企業から、社外取締役のお誘いもありましたが、今までは受けていませんでしたが、顧問職も退任したので、これからは少しずつやっていきたいと考えています。
事業承継で最初に取り組んだことは?
お二人の事業承継の経験談をお伺いした後、参加者からの質問を大久保代表が取り上げながら、トークセッションを進めました。
大久保:承継されるにあたって、一番最初に取り組んだことを教えてください。
すぐに取りかかれるお客様づくり
宮治:最初にやったことはなぜうちの豚が美味いのかを親父にヒアリングしてまとめたことです。あとはメルマガを自分の友人、知人に配信して、流通の経路を変えました。お金をかけずにできるところから手を付けて、お客さんを作るところから始めました。
一番言いにくいことから話し合い
松岡:私は会社に入る前に、今後会社をどうするかを妻と義母と妻の姉妹とで話し合いました。誰かがやるなら私はやらないというスタンスで、本当に誰もやらないのか、私には息子がいますが、息子が継がない可能性があることなど、将来起きうる問題を全部話しました。
相続や株式の取得についても話して、一番言いにくいことを一番最初に話しました。家族でもめることは一番避けたかったので、はっきり話したお陰で、今でも家族は仲良しです。
大久保:最悪のことも話していたから、乗り切れたということでしょうね。
松岡:そうですね。事業承継の本質は株式の承継だと思っていますので、それができなければ事業承継は全然できていない状況だと思います。
事業承継で求められる人間関係の構築
大久保:宮治さん、ご家族内の役割分担でもめたことは無かったですか?
宮治:兄弟阿吽の呼吸でした。弟は職人気質、僕は営業が得意というお互いの得意分野を活かしたので、すんなり役割分担ができたと思っています。
大久保:松岡さんにもお伺いしたいですが、松岡さんは最初から社長ではなく、ステップを踏まれていったのですか?
松岡:はい。それは社内の理解を得るためでもあったと思います。
大久保:途中から入っていかれて、人心掌握には苦労されたのかなと思いますが?
松岡:「東京からITをやっていたやつが来た」という感じで、大変でしたね。社員は敵ではなくて味方なので戦わないし、いつでも冷静に話して、自分の考えているところをしっかり伝えるように、とことん気を付けていました。また、人は結果が出ないと判断ができないので、しっかりと結果が出るまではやり続けました。
宮治:結果は何で示されたのですか?
松岡:一番分かりやすかったのはお金です。会社の利益が増え、社員の賞与が増やせたので、分かりやすいですね。
人生の選択:会社員か、創業か、承継か
大久保:宮治さんは先代のお父様との葛藤はありませんでしたか?
宮治:僕は特殊で、生産現場に一切タッチしていません。つまり僕は「豚の世話ができない豚農家」なわけです。逆に親父も弟も僕がやっていることは理解できないので、お互い口出ししないというのは良かったなと思っていますね。
大久保:自分の領域を持ってかぶらないようにしているのですね。会社員をしていたらよかった、自分で起業したらよかったという思いはないですか?
宮治:僕は会社勤めもしましたし、親父の経営資源は活用させてもらったけれど、株式会社みやじ豚を創業したのは自分で、ブランド化や流通経路作りをして販売戦略を立てたのは僕の代からです。「事業承継」もする一方、NPO法人農家のこせがれネットワークはゼロから立ち上げました。
いろいろやりましたが、NPOもみやじ豚があるから説得力を持って活動できたし、自分の軸は「みやじ豚」で、家業に自分のルーツがあると感じますね。家業を継いで自分らしい人生を歩めてると思います。
大久保:松岡さんも、会社員、事業承継もなさっていますが、違いをどのように感じていらっしゃいますか?
松岡:一般論かもしれませんが、お金の心配をしなくていい「会社員」が一番楽でした。「創業」はビジネスを作るのが非常に難しいけれども、組織を作るのは簡単でした。
「承継」はビジネスはある程度回ってお客様がいる状態ですが、自分の意識が伝わる組織を作るのは非常に大変でした。
宮治:なるほど、すごく分かりやすくて興味深い分析です。
辛い時はどう乗り切るか?
大久保:松岡さんは借金も抱え、人も去るという辛い状況で、どうやってメンタルを保っていたのですか?
辛い時の対処法
松岡:「耐えた」というのが実際です。僕は朝起きたら忘れるタイプではないし、へこみにくいタイプでもないので、苦しんで消化できるまで悩み続けました。要は「逃げない」ということで、忘れないで、辛いながらも最後まで向き合っていました。
それ以外にはフルマラソンです。マラソンと経営は「苦しくても自分のために走り続ける」という共通点があります。一番苦しかった2013年には友達作りのためにグロービスでMBAの勉強を始め、フルマラソンを年に1~2回するようになりました。もともと陸上部でもないのですが(笑)
大久保:眠れない日々を過ごしながらも走っていたんですね。
宮治さんはカンブリア宮殿に出られたりと、順調なので、メンタルを保つ必要もないかと思いますが?
宮治:僕は松岡さんのようなご苦労は、いい意味でも悪い意味でもできていなかったので、皆さんにお話できるようなことはありませんが、僕は寝ると忘れるタイプです(笑)。
悩んだ末の事業承継
宮治:松岡さんは、事業承継を成功させて、すぐに身を引かれたようですが、もう少しそのあたりのお話を伺えますか?
松岡:はい。その時は大株主と代表取締役社長という2つの立場がありました。代表取締役社長としての私は、「非常に苦しい状況からしっかり利益が出るようになったのだから、もっと続けたい」という気持ちでしたが、大株主としての私は、「今までよくやったけれど、これからは君ではないよ」と言っていました。
承継のタイミングは、倒産しない限りやってきますが、私の場合はあのタイミングが一番だったと思います。社員が社長をやれる状態は何年もかけて作ってきましたし、ファミリーでの事業承継が成り立たなくなって私が入ったわけですから、私にもしものことがあればと考えると、社員にとって非常に負担な状況でした。退任後の会社は良い状況ですよ。
大久保:承継のタイミングは定年とは限らないと思います。ギリギリだと事業承継のベストタイミングを逸してしまうでしょうね。
宮治:そうですね。僕は事業承継のコミュニティを運営していますが、先代が元気なうちにやるのが「承継」、亡くなってからは「相続」だよと話しています。これは絶対に押さえるべきことだと思います。
参加者からの質問「第三者承継のポイントは?」
トークセッションに引き続き、参加者が小グループに分かれ今日の学びを確認するブレイクアウトセッションを行いました。最後に、第三者承継について参加者からの質問を受けました。
大久保:参加者からご質問がありましたが、第三者承継で会社を買う場合、成功させるポイントはありますか?
松岡:完全にケースバイケースだと思います。役員を辞めさせる方法もありますが、地方だと悪い評判が立って従業員が集まらなくなる恐れもあります。
また、事業承継は認識違いが非常に起こりやすいものです。同族会社を継ぐために会社に行ったら部下として扱われたり、それなりの役職からスタートできると思っていたら、5年現場で修行しろと言われたりすることがあります。
話をしにくくても、そこは最初にちゃんとしておかないと、ミスマッチが起きた時に誰かが不幸になります。そこは逃げてはいけないと思っていましたし、話をする必要がありますね。
宮治:「逃げてはいけない」ということでは、最近ミシンメーカーの方の話を伺って感銘を受けました。ミシンが売れない時代に家業のミシンを普及させる方法を考えに考えて、世代ごとのミシンを作りヒット商品を生み出しました。
逃げなければ活路が得られると教えてもらいましたし、まさにケースバイケースですが、松岡さんのお話からも、巨大な借金を抱えながらもあきらめなければ活路が開けるのだなと思いました。
大久保:そうですね。本日は長時間にわたり素晴らしいお話をありがとうございました。
起業家に有益な情報を徹底してお届けする「創業手帳」から、日本初の事業承継に特化したガイドブック「事業承継手帳(無料)」 が創刊されました!事業承継を検討する創業者の方、これから新社長になる方、事業承継に関わる士業の方などに有益なノウハウや最新情報をお届けしています。あわせてご活用ください。